千反田えるは可愛くない

前々から話してた通り、今日は千反田えるの”可愛さ”を表現する為だけの言葉を作ろうと思う。俺はそのために国文学科に4年間在籍してた。大体、一般的な言葉というものはアバウトで大雑把過ぎる。肉を食べて「美味しい」というのと魚を食べて「美味しい」というのでは、同じ言葉でもその意味する所は全く違う。自分の感覚や感情に一番近い言葉を当てはめるのが言語によるコミニュケーションであるが、結局それは″近い″だけで、それそのものを表現する為の専用の言葉ではないから何処かで齟齬が出てくる。しょっぱくて、ジューシーで、歯応えがあって…とか言葉をいくつも繋ぎ合わせて最大公約数的にその味に近付けていくことは可能でもいずれは壁にぶつかる。″これ以上近付けられない″ラインが必ず出てくる。何故か?それは″自分の感覚や感情に一番近い言葉を当てはめる″という言語によるコミニュケーションの構造そのものに問題があるからである。問題というよりも代償に近い。つまり正確さよりも手軽さを重視した代償や。なんか滅茶苦茶適当に書いてるな。まぁええわ。だからまぁつまり、言語っていうのは正確さよりも手軽さを優先して発達したわけや。そらそのはずで、例えば肉の味を表す言葉、魚の味を表す言葉、野菜の味、キノコの味…世の食べ物全てにそれぞれ対応する言葉を作れば、肉の旨さと魚の旨さが言語上全く同じになってしまうバグは防げたやろうけどそんなもんやってられへん。大体″肉″と一口に言ってもこれまた膨大な種類の肉があるし調理法も数え切れん。だから正確さを犠牲にして「美味しい」とか「しょっぱい」とか多種類の感覚を包括できる汎用的な言葉をつくった。手軽にコミニュケーションを取れるように。合理的な判断や。

でも待てと。肉だの魚だのはええわ、他の物と一緒方にされて「美味しい」と一言で纏められても。でも千反田えるは、えるだけはやめてくれ。彼女のもつ魅力はこの世に存在する全ての女性の″可愛さ″とは明らかに異質なものやし、「千反田える可愛いよな〜」と話すキモオタどもの″可愛い″と俺が彼女に言う″可愛い″もまた、明らかに違う。俺はほんまは”可愛い”なんて言いたくない。こんな気持ちお前らには分からんやろうな。分かるはずがない。事実、お前らは今日に至るまで千反田えるに対して何の臆面もなく”可愛い”と言ってきたし、明日からも言っていくんやろう。本当に一抹でも俺と同じような感情があったのなら、少しでも彼女を大切に思えたのなら、「千反田えるは”可愛い”」という話になった時にお前らの表情には少なからず”苦渋”や”もどかしさ”などの感情が浮かび上がったはずや。それやのに、貴様らは、そんな感情の片鱗を感じることすらなく、あろうことか一緒の輪に入って「千反田える”可愛い”」談議にいやらしく鼻の下を伸ばし諂ってたやないか。反吐が出る。貴様らに物事の”美”に言及する権利なんかない。オタクを名乗る資格すらない。一端の審美眼があるかのように語っておきながら、一流シェフが手掛けた最高級料理と、すき家の牛丼、エグチバーガーを同じテーブルに乗せてその全てを「美味しい」と纏めてしまってるんやからな。その恥ずべき事実にすら気付かず一丁前に「あのキャラは可愛い/可愛くない」だの偉そうに語ってる。お笑い種や。真に美しいものの”可愛さ”すら測られへんカスセンサーしか搭載してないやつがどうして美に言及できようか。全くお笑い種や。お前らはそこで千反田えるに対して「可愛い/可愛くない」などと言った全く見当違いの表現を用いた不毛なトークを一生してろ。俺はもう行く、本当の千反田えるに会いにな...。f:id:uozanojin:20201023223319j:image

″自分の感覚や感情に一番近い言葉を当てはめるのが言語によるコミュニケーション″と言った。言い換えれば消去法で選択された解を罷り通してただけの伝達手段や。有史以来なぁなぁで見送られてきたコミュニケーションのその曖昧な部分に、既存言語を超越した美を持つ「千反田える」の誕生は一石を投じた。くどい様やけど何が言いたいかっていうと″千反田える″と″可愛い″と言う言葉の間には膨大な距離がある。そしてその膨大な距離の中に既存の言葉は一つも存在してない。つまり″一番近い″言葉を当てはめる伝達手段の弊害として、この膨大な距離を無視して″千反田える″から全く離れたところにある”可愛い″って言葉が彼女の表現として選択されてるという人類史最大のバグが発生してるってこと。許せる?俺は許せん。このブログは″可愛い″という星から飛び立ち、ただ千反田えるのもとへ、何も無い膨大な距離を飛行するために用意された3台目のボイジャーである。本当の彼女を知りたいと願う勇敢なる同士たち、俺と共に千反田えるに会いに行こう。あそこで未だにえる可愛いだなんだ言ってるデブ共には決して見ることが出来ない彼女を見に。道に迷うことはない、彼女は何よりも眩しいから。立ち止まることはない、彼女が待っているから。「広いなんて言葉、小さ過ぎる。空を表すにはもっと大きな言葉を」これは映画ギルバート・グレイプの台詞である。「可愛いとかしょーもなすぎ。えるにはもっと可愛い言葉あるて」これは俺の台詞である。戦わずして逃げるな。見たくないものは目を瞑って、見えてるものは見えてないふりをして、逃げた果てで彼女を”可愛い”と言ってどうなる?えるは喜んでるか?いや、彼女のことや、きっと微笑んでくれるやろう、どんな形であれ喜んでくれるやろう。でもあかん。それじゃ何一つ伝わってない。向き合えよ、千反田えるに。逃げるなよ、千反田えるから。長い旅になるやろうけど絶対に流されるなよ!!