大阪メトロの堺筋線いらんやろ

今はもう散り散りになってしまった先輩達が下宿先の戸を開けば全員揃っていて、下らない諍いや品性の欠片も無い悪ノリを肴に飲み明かした夜のことを未だに忘れられずいる。罵詈雑言とサラダが飛び交う二時間の宴会の半ばで勃発するお互いが何にキレてるのか全く分からない喧嘩や、気が違った先輩が恐ろしく悍しい行為をしているのを見ている時の下卑た記憶は今やすっかりと美化され青春の記憶として胸を締め付ける。まぁ″恐ろしく悍しい行為″を濁さずに言うと吐瀉物ないし排泄物ないし局部などが画角の九割を占める低俗で凄惨な場面で、濁さずに言えば言うほどドロドロに濁ってしまうゲロうんこのジレンマが発生してるが、その汚物も汚点もケツの穴も、全ては絶え間なく打ち付ける時間という波が全てを水に流し、記憶の砂浜に残された思い出という名の砂金は汚れを知らぬ顔をしてキラキラと輝くのである。全く情けない話や…、周りが社会の荒波に揉まれている中、俺だけが小汚い六畳半の部屋で時間という波(笑)だなんだと駄文を垂れ流し、二度と戻らない日々への憧憬を捨てられずに燻っている。ずっと過去ばかり見ている。もはや仕方ない。森高千里が″願い事一つ叶うならあの頃に戻りたい″と歌っているがまさにその通りや。願い事一つ叶うならあの頃に戻りたい。嘘である。その場合は普通に五億欲しい。願い事二つ叶うならあの頃に戻りたい。そして五億欲しい。あと寿司とかも食いたいです。

思えば高校を卒業した時も高一に戻りたいとか言っていたし、中学も、小学生の時すらそうかも知れない。恋人と別れた時も、引っ越した時も、全てにおいて思い出を美化する傾向が強過ぎる。何でもないような事が幸せだったと思い過ぎる。周りは何よりも眩い未来に向かって歩き始めているのに、俺だけが消えそうに小さく輝く砂金を見つめて俯いたままずっと同じ所にいる。時間という波が俺の足首をさらい始めても尚。

肌寒い夜に二次会会場の下宿先から抜け出して、余り話した事のない面々でコンビニに行く時の妙な浮遊感。自動ドアが開いて店内の照明が現実に引き戻す感覚。部屋に帰ると待ち受けているムッとした熱気と酒とカルパスの臭い。一人、また一人と潰れて行き、最後まで生きていた数人でしんみりと話した時に初めて知る意外な一面。殴り合いの喧嘩。飲み会で芽生えるダサい恋。永遠に繰り返されると思っていた夜を全て使い果たして、永遠に続く追憶の中で打ちひしがれている。皆どこへ行ってしまったんや…。ついこの間まで緑色のゲロが出た話で盛り上がってたやないか。電車にエフェクターボードを置き忘れて駅であたふたしてたら環状線一周して戻ってきた話で大笑いしてたやないか。何故かいつも曇り空で想起される喫煙所での会話の虚無も、新大宮の公園で四回生と肩を組んでいる時の高揚感も、何かしらのプロになれそうな程の時間を無為に過ごした部室も、田んぼ張れるぐらい大量の酒を買った踏切横のセブンイレブンも、二人で歩いた深夜の線路も、大和西大寺駅も、あの部屋も、全部覚えてる。でも今はもう誰もいない。とかなんとか昨日の深夜に書いてたっぽいけど、今日起きて友達と酒飲んでバッティングセンター行ったらマジで全部どうでもよくなってきた。いえええええええええええい!!!!!!!!!!!人生さいこ~~~~!!!!!!!!!!それより毎日毎日家の前で大阪市廃止に反対する選挙演説がうざすぎる。こんな街さっさと廃止しろ。きもいねん、ほぼ確実にゲロ落ちてるし。ていうか大阪メトロの堺筋線って要らんくない??線路全部剥がしたろかな。大阪市堺筋線をまとめて廃止しろ。願い事一つ叶うならそうする。嘘です。普通に五億欲しい。明日も昼から飲みに行くので。いえええええええええい!!!!たのし~~~!!!!!でもやっぱり少し寂しい!!!!!!!

 

 

千反田えるは可愛くない

前々から話してた通り、今日は千反田えるの”可愛さ”を表現する為だけの言葉を作ろうと思う。俺はそのために国文学科に4年間在籍してた。大体、一般的な言葉というものはアバウトで大雑把過ぎる。肉を食べて「美味しい」というのと魚を食べて「美味しい」というのでは、同じ言葉でもその意味する所は全く違う。自分の感覚や感情に一番近い言葉を当てはめるのが言語によるコミニュケーションであるが、結局それは″近い″だけで、それそのものを表現する為の専用の言葉ではないから何処かで齟齬が出てくる。しょっぱくて、ジューシーで、歯応えがあって…とか言葉をいくつも繋ぎ合わせて最大公約数的にその味に近付けていくことは可能でもいずれは壁にぶつかる。″これ以上近付けられない″ラインが必ず出てくる。何故か?それは″自分の感覚や感情に一番近い言葉を当てはめる″という言語によるコミニュケーションの構造そのものに問題があるからである。問題というよりも代償に近い。つまり正確さよりも手軽さを重視した代償や。なんか滅茶苦茶適当に書いてるな。まぁええわ。だからまぁつまり、言語っていうのは正確さよりも手軽さを優先して発達したわけや。そらそのはずで、例えば肉の味を表す言葉、魚の味を表す言葉、野菜の味、キノコの味…世の食べ物全てにそれぞれ対応する言葉を作れば、肉の旨さと魚の旨さが言語上全く同じになってしまうバグは防げたやろうけどそんなもんやってられへん。大体″肉″と一口に言ってもこれまた膨大な種類の肉があるし調理法も数え切れん。だから正確さを犠牲にして「美味しい」とか「しょっぱい」とか多種類の感覚を包括できる汎用的な言葉をつくった。手軽にコミニュケーションを取れるように。合理的な判断や。

でも待てと。肉だの魚だのはええわ、他の物と一緒方にされて「美味しい」と一言で纏められても。でも千反田えるは、えるだけはやめてくれ。彼女のもつ魅力はこの世に存在する全ての女性の″可愛さ″とは明らかに異質なものやし、「千反田える可愛いよな〜」と話すキモオタどもの″可愛い″と俺が彼女に言う″可愛い″もまた、明らかに違う。俺はほんまは”可愛い”なんて言いたくない。こんな気持ちお前らには分からんやろうな。分かるはずがない。事実、お前らは今日に至るまで千反田えるに対して何の臆面もなく”可愛い”と言ってきたし、明日からも言っていくんやろう。本当に一抹でも俺と同じような感情があったのなら、少しでも彼女を大切に思えたのなら、「千反田えるは”可愛い”」という話になった時にお前らの表情には少なからず”苦渋”や”もどかしさ”などの感情が浮かび上がったはずや。それやのに、貴様らは、そんな感情の片鱗を感じることすらなく、あろうことか一緒の輪に入って「千反田える”可愛い”」談議にいやらしく鼻の下を伸ばし諂ってたやないか。反吐が出る。貴様らに物事の”美”に言及する権利なんかない。オタクを名乗る資格すらない。一端の審美眼があるかのように語っておきながら、一流シェフが手掛けた最高級料理と、すき家の牛丼、エグチバーガーを同じテーブルに乗せてその全てを「美味しい」と纏めてしまってるんやからな。その恥ずべき事実にすら気付かず一丁前に「あのキャラは可愛い/可愛くない」だの偉そうに語ってる。お笑い種や。真に美しいものの”可愛さ”すら測られへんカスセンサーしか搭載してないやつがどうして美に言及できようか。全くお笑い種や。お前らはそこで千反田えるに対して「可愛い/可愛くない」などと言った全く見当違いの表現を用いた不毛なトークを一生してろ。俺はもう行く、本当の千反田えるに会いにな...。f:id:uozanojin:20201023223319j:image

″自分の感覚や感情に一番近い言葉を当てはめるのが言語によるコミュニケーション″と言った。言い換えれば消去法で選択された解を罷り通してただけの伝達手段や。有史以来なぁなぁで見送られてきたコミュニケーションのその曖昧な部分に、既存言語を超越した美を持つ「千反田える」の誕生は一石を投じた。くどい様やけど何が言いたいかっていうと″千反田える″と″可愛い″と言う言葉の間には膨大な距離がある。そしてその膨大な距離の中に既存の言葉は一つも存在してない。つまり″一番近い″言葉を当てはめる伝達手段の弊害として、この膨大な距離を無視して″千反田える″から全く離れたところにある”可愛い″って言葉が彼女の表現として選択されてるという人類史最大のバグが発生してるってこと。許せる?俺は許せん。このブログは″可愛い″という星から飛び立ち、ただ千反田えるのもとへ、何も無い膨大な距離を飛行するために用意された3台目のボイジャーである。本当の彼女を知りたいと願う勇敢なる同士たち、俺と共に千反田えるに会いに行こう。あそこで未だにえる可愛いだなんだ言ってるデブ共には決して見ることが出来ない彼女を見に。道に迷うことはない、彼女は何よりも眩しいから。立ち止まることはない、彼女が待っているから。「広いなんて言葉、小さ過ぎる。空を表すにはもっと大きな言葉を」これは映画ギルバート・グレイプの台詞である。「可愛いとかしょーもなすぎ。えるにはもっと可愛い言葉あるて」これは俺の台詞である。戦わずして逃げるな。見たくないものは目を瞑って、見えてるものは見えてないふりをして、逃げた果てで彼女を”可愛い”と言ってどうなる?えるは喜んでるか?いや、彼女のことや、きっと微笑んでくれるやろう、どんな形であれ喜んでくれるやろう。でもあかん。それじゃ何一つ伝わってない。向き合えよ、千反田えるに。逃げるなよ、千反田えるから。長い旅になるやろうけど絶対に流されるなよ!!

 

下下下の鬼太郎

俺の同期達はコロナ禍によりスムーズにとまでは行かないまでも、各々が社会人1年目として真新しい革靴で会社の敷居を跨ぎ始めたようである。ビデオ通話の画面越しに見る旧友のスーツ姿には若干の見慣れなさがあるものの、その違和が無くなる日は遠くない、と、期待に輝く彼らの瞳が俺に確信させる。ほんの数ヶ月前までの話題は下らない日常や下劣な馬鹿話や下ネタなどで持ち切りの下下下の鬼太郎だった俺たちだが、社会の大目玉親父に合わされた彼らはすっかりその妖怪っぷりを潜め、今や専らそれぞれの会社のシステムや人間関係について語り合っており、俺だけが下下下の鬼太郎のまま、「朝は寝床でグーグーグー、お化けにゃ学校も試験もなんにもない…」と、とても他人事とは思えない歌を回想して閉口するばかりである。

俺とて生来こんな有様だった訳ではない。遡る事22年前、一姫二太郎ならぬ一姫鬼太郎として6歳上の姉を持つ弟の俺が爆誕したのだが、新生児ながらトレンドを取り入れたベビー服を完璧に着こなすその立居振る舞いに病院の看護婦達は鼻息荒く世話をし、取り上げた産婆はへその緒を蝶ネクタイの様に結び、ブランデーの入ったグラスを回しながら産まれた俺に見惚れてしまい、将来結婚させて貰えるよう手土産を片手に母親の病室まで頼みに来た。当の母親も我が息子が放つ並々ならぬオーラへの期待と母乳で胸を膨らまし、聡明さ迸る俺の寝顔の隣で幸福な夢を見ながら眠りに就いていたことであろう。しかしこの世は諸行無常、有為転変、兵どもが夢の跡である。誕生日ケーキに刺す蝋燭が5本を超えた辺りで我が人生はピークに達し、(まだまだこれから…)という両親の淡い希望を他所に富士急ハイランドのジェットコースター並の急降下を遂げ、絶叫どころか絶句するしかなくなった2人はいつしか誕生日ケーキを買うのを辞めた。それから10数年に渡り1度たりとも空を見上げる事なく下降し続ける人生という名のジェットコースターは、輝かしい筈だった高校生活や、所得する筈だった単位、貰えた筈の就職先などをレール外へばら撒く度にその速度を増し、遥か後方にて哀しげに灯る5本の蝋燭がやけに眩しい。

嫌にリアルな浮遊感に目を覚ました俺を窓から差し込む夕日が照らす。高校の頃、同窓生達がグラウンドに、体育館に、部室に垂らしていた爽やかな汗は優しい西日に照らされキラキラと輝く金色の宝石として彼らの青春を彩っていた。劣等感からその輝きを恐れ、嫉妬と負け惜しみから作られた醜い冷笑を浮かべたまま、なるべく日陰を通って帰っていた俺の中には、流すべき時に流せなかった汗が毒のように溜まり、数年間の後悔や鬱憤で醸造されたドロドロとした寝汗となってシーツを彩る。彼らが仲間達とかけがえの無い思い出を作っていたこの夕刻、俺が成し遂げた事は何もない。そして学ぶ事なく今も眠り続けている。何も変わっていない。人々を平等に照らす優しい西日は、残酷にも人々を平等に照らすのだ。高校生の爽やかな汗も、誰かの後悔の涙も平等に。

寝ぼけ眼でボーッと部屋の隅を見つめる。地方のホテルや旅館で目覚めて、ローカルな朝の番組を垂れ流しながらあまり良くない空模様の外を見つめつつコンビニおにぎりの包装を開けてる時みたいな虚無感がずっとある。

絶頂期にすっぱりと身を引いた鬼滅の刃の刀身は、下下下の鬼太郎の喉元には至らなかった。まだ滅ぼすべき鬼はいるだろう。自分は普通の人間とは違うと未だに言い聞かせている哀れな鬼が。下らない感傷が死なない程度に精神を痛ぶってくるので連日連夜アニメを観ている。特に異世界転生のアニメを。人生半ば終わっている引きこもりがある日不慮の事故で死ぬ。しかし死んだはずが目を覚ますと何故か異世界に転生しており、何故かとてつもない力を持っており、何故か美少女に囲まれており、何故かモテまくるというのが大体の異世界転生アニメに共通するプロットである。ここまで作者の願望が顕在化しているジャンルも珍しい。現実からの逃避/何の努力もせず得られる才能/歓声、名声、寵愛…、俺たちオタクが望む全てが詰め込まれている。描かれた可憐な美少女はそのベールの下でひしめき合う、悍ましくドロドロしたオタクの妄想によって動いているのだが、俺たちキモオタはそのベールを剥がすような野暮な真似はしない。決して触れず、ただ見つめ、信じるのである。同志達が望んだ世界を。オタク達が愛した彼女を。

信じている間だけは俺は紛れもない理想郷に辿り着ける。虚無感も感傷もこの6畳間に置き去りに出来る。まさに鬼に金棒、鬼太郎にちゃんちゃんこ、キモオタクに深夜アニメである。怖いものなど何も無い。もう1本観よう。思い出の代わりに深夜アニメをのせ、ジェットコースターは更にその速度を増す。

借金、スノボー、コアラ

突然やけど俺はマジで金がない。金がないというか借金がある。

忘れもしない去年の2月、先輩の家の車の「ベルファイア」とかいうクソ馬鹿デカい車を借りて兵庫までスノボーしに行った。f:id:uozanojin:20200124002149j:image

スノボーは1回しかしたことなかってんけど、自分の運動神経を過信している俺は、広瀬香美が鳴り響くゲレンデでイカしたゴーグルとウェアを着こなし、羽生結弦が病むぐらいのスピンをかましてスキー女子達の心を根こそぎ奪い、帰りのベルファイア内の男女比率をバグらせてやろうと意気込んで行ってんけど、初滑りの時にマジで意味わからんぐらいの大転倒をかまし、腰が完全に砕けてしまった。

自分の運動神経を過信していることを忘れていた俺は、目の前をきゃっきゃっとはしゃぐスキー女子達のウェアの下にあるであろう柔らかな雪肌しかみておらず、足元の雪を全く見てなかった。ボードが引っかかり、かったい雪の上にマッハ8ぐらいの勢いで叩きつけられた俺は「アァアアァイ!!!!」と絶叫した。実家にまで俺の「アァアアァイ!!!!」という叫びが聞こえてたらしい。起き上がることすらままならなくなった俺は、山頂にいる友人達に助けを求めようと、痛みに耐えながら頑張って目線を送ったけど、友人達は全員アホなので、視線は周りのスキー女子達に釘付けで、俺のことなど見向きもせずに勃起していた。スノボーやのにそんなストックいらんやろ。早く俺を助けに来い。勃起するな。しかし今でこそこんな風に書けてるけど、白い雪の上で大の字のままピクリとも動けんくなった当時は、その余りの痛みに本気で下半身不随になったと思った。下半身の赴くままにスキー女子に向かっていった俺には当然の報いである。スキー場はスキーをしにくる場であって、断じて女にモテるために来る場所ではないのである。しかしそうならば、山頂でアホ面してる友人等も俺と同じ報いを受けて然るべきや!神様は見てくれてる!奴等にも同じ天罰を!!と、未だに引かない痛みに悶えながら、俺は必死に神様に浅ましい願いをかけてたけど、ムカつくことに彼らはマイボードまで持ってる経験者なので、苦しんでいる俺など見向きもせず、真横を颯爽と勃起しながら滑り去っていき、ゲレンデには俺の願いなど聞いてくれるはずもない、ロマンスの神様が虚しくこだましていた。

全然違う話になってた。問題はその帰り道、温泉に入ってクタクタのまま、順番的に俺がベルファイアを運転していると、完全に道路標識を破壊した。もうこれでもかってぐらいぶち当てた。車内の空気がスキー場より冷え切ってた。意味わからん地方都市の国道にありがちなスーツの青山のクソ馬鹿デカい駐車場に一旦止めて傷を確認すると、擁護できんレベルで傷が入ってて、無保険の俺は修理費に30万払った。スーツの青山ならぬニートのクソ馬鹿の俺にとって、30万なんぞ目も眩むような大金である。俺の口座が火の車である。そういう意味でベルファイア?ふざけろ、保険に入れよ俺。保険には入れよお前ら。たった1000円ケチっただけで30万の借金である。俺の口座がベルファイアである。

なんでこんな話をしたかというとですね。俺のブログの読者は今62人おるらしいけど、どうですか?俺を救う気とかあります?女性の読者の方とかどうですか??幸い下半身は無事だったんで色々大丈夫ですよ!お金でも何でも俺を支援してください!!オーストラリアよりも俺の家計が燃えてます!!!コアラも大事やけど!!そういえば火事でコアラがめっちゃ死んでる話をされた時に「コアラのマーチやなしに、コアラのレクイエムやなw」って言うたら友達おらんくなった。でもこのままやと俺のレクイエムになりそうなんで、皆さん飯をお願いします!!!

ケーシー

今日俺が何をしていたか知りたいか。教えてやろう。寝てた。以上。寝てたと言っても睡眠してたわけではない。横になって天井を見つめたり、スマホwikipediaを巡ったりしてた。15時に一回だけ起きてマクドを買って食ってまた横になって、スマホ2ちゃんねるに入り浸ってたら0時を回ってた。今日は朝の9時半に起きたので、14時間ぐらい横たわっていたことになる。14時間て。

でも図鑑によると、ポケモンのケーシーは1日18時間寝るらしい。とんだクソ怠け野郎やな、せめて14時間やろ。どんだけ落ちぶれても18時間も寝だすカス野郎にだけはなりたくない。ケーシーうざ。しかもそんだけ寝た後、起きてすることが「テレポート」らしい。草生える。何の為に生きてるんですかね、ケーシーって。18時間寝た上にまだ動きたくなくて目的地までテレポートしてるって、生物として「終わって」ますよね。どこにテレポートしてるんやろ。まぁどうせケーシーのような奴はパチンコでしょうね。そういえばこの間、新台入れ替えの時に駅前のパチ屋にケーシーめっちゃ並んでましたね。そこの店員と知り合いなんですが、ケーシーのことを、KC(カスちんぽ)の隠語で呼んでるらしいです。まぁケーシーのような奴はそれぐらいがお似合いですね。f:id:uozanojin:20191120010516j:image

世の中下には下がおることに安心した俺は、(18時間まではセーフやろ…)という思考に至り、今もなお天井を見つめている。あ〜俺もポケモンになりたいな〜。「ジン・クソニーポケモン   まるいちにち ベッドから おりてこない。 2ちゃんねる の レスバトル に まけると まぜめん とくもり を やけぐい する。」とか図鑑に書かれるんやろな〜。あ〜、可愛い女トレーナーにゲットされて~。

本当に何もしたくないな。なんでこんなにやる気のない人間になってしまったんやろう。高校の時も、通学中にチャリ漕いでたらカラスに頭掴まれたしなぁ〜。カラス目線で見ると、俺は動く生ゴミに見えたんかな。まぁ今はもはや動きすらせん、ただの生ゴミになってしまったんやけど。二回生の時も家でボーッとしてたら通年で取れた単位が4しかなくて、GPAが0.7とかいうバグが発生してたしなぁ。0.7て。視力か。俺の成績は小数点以下にしか存在してへんのか。これからは気軽に小数点以下を切り捨てるのをやめよう、俺が大学から切り捨てられてしまう。まぁそんな過去の負債があるので4回生になってもしっかり授業があり、明日も学校に行かなあかん。だるいな、大学までテレポートしたい。ケーシー、さっきは悪かった。俺を大学まで運んでくれ。おい、起きろケーシー。いつまで寝てんねん。おい、ケーシー。ケーシー…!ケーシー…?ケー……、死んでる…。

 

魚飲み

昨日可愛い後輩達が飲みに誘ってくれたので久し振りに居酒屋で飲んだ。その居酒屋がえらいおもろいところで、なんと店内に釣り堀があって客が釣った魚をその場で調理してくれる、殆どアミューズメントパーク的な店やった。「奈良 アミューズメント」で調べたら一番上に出てくるんちゃうかな。試しに皆もやってみて下さい。因みにいま俺がやると金魚ミュージアムが出てきた。いやたしかに魚やけど、釣って調理すな。

とにかくそんな楽しいことが出来るのに見過ごす手はない、と、俺たちはぞろぞろ釣り堀を囲んで糸を垂らしたは良いものの、(こんな品のない大学生ごときに食われてたまるか)と言わんばかりの抵抗をかまされ、3本釣り糸を破壊された。確かに直前の「枝豆一回鷲掴み」の時に店員の目を盗んで、マイケルジョーダンが両手でいったんかって量の枝豆を不正入手したり、綺麗に剥がせずにホッケの背骨を複雑骨折させたりしてたけど、そんなに抵抗することないやないか。なにやらこんな畜生風情にプライドを傷つけられた気がした俺は、貧乏学生の執念、最後の糸で「シマアジ」なる釣り堀の最高級魚を釣り上げてやった。高級魚だかなんだか知らんがお高く止まりやがって。貧乏学生、引いては人間様を舐めてるからそんなことになる。大体なんや、その不細工な顔は。俺がその顔に産まれたら自殺してるよ。シマアジって名前もダサいよね。魚顔にも程がある。あと顔がキモい。などと魚に対してマウントを取りまくってたが、なんぼ顔がキモくても高級魚、釣り上げた俺に向かって後輩ちゃん達が声を揃えて「ジンさんすごーい!」という賞賛を送ってくれた。俺は普段の素行が悪すぎて褒められることが無いからそんなに褒められたのが初めてで、嬉しさの余り釣り堀に飛び込んでシンクロナイズドスイミングをする一発ギャグをしたら皆笑い過ぎてうんこ漏らして死んだ。

しかし会計の段になって、1回生の分は奢ろうという話の元、俺の同期の4回生の奴らや、3回生の奴らが6000円5000円とか出してる中、俺は2000円払うと残金が「2円」になるというバグが起きてた。しかもその2000円のうち半分の1000円は、店に来る前に俺の余りの金のなさを不憫に思った後輩に託されたものなので、実質俺が払ったのは「1000円」だけである。周りがポンポン札束を出してる中、俺が震える手で「ごめん…こんだけしかない…」とくしゃくしゃの1000円札を手渡すと、落胆や失望や本気の哀れみなどが入り混じった瞳で「まじすか。」と言われ、俺の頭の中にはさっきシマアジを釣り上げた時の「ジンさんすごーい!」という歓声が虚しくこだましていた。

散々コケにしたシマアジは泣けるほど美味かったし、シンクロナイズドスイミングなんかしてないし、そもそも俺泳がれへんし、後輩に金払わせてるし、その後家に泊めてくれた友達の所持品を片っ端からケツの穴に入れて本気でダルがられるし、なんなんや俺は…。癒しが欲しい…。金魚ミュージアムにでも行こかな…、って、もう魚は懲り懲りだぁ〜〜ぃ!!!!!

 

卒論

当ブログ3回目にして書くことがなくなった。今までご愛読ありがとうございました。

そもそも俺という人間は物事を3日以上継続できたことがない。細マッチョに憧れて筋トレを始めた時も、本当にマジで究極的にめんどくさくなって腹筋5回ぐらいして辞めたし、しかもめんどくさくて辞めた事を自分で認めたくなくて、「いたた…筋肉断裂したんちゃうかな…」などと一人でブツブツ呟いてた。そんなわけないやろ。また、健康になろうとランニングを始めた時も、普段あまりに運動していないせいで、500mほど走っただけで「なんていう名前の部位やねん」ってレベルのマイナーな筋肉が猛烈にブチ切れ、肺は潰れ、視界はかすみ、意識は薄れ、大地は割れ、海は荒れ狂い、野には一輪の花が咲いた。でもまぁ、筋トレだとかランニングだとか、体育会系の事柄はともかく、文学部の端くれとして、文字を書くブログぐらいは頑張って続けようと思う。

そう、俺は文学部なのである。そして卒論を書かなければいけないのである。しかも明後日までに。アホ過ぎる。前もってやっとけよ、過去の俺。「麻生太郎 気持ちの良い答弁集!」とかいう動画見てる場合ちゃうやろ。このままでは俺は卒論発表の時何も喋れず、まともに受け答えも出来ず、「気持ちの悪い答弁集」とかいうタイトルの動画でゼミ内のLINEグループで晒されてしまう。陰湿なオタクどもめ。

ただでさえ居場所のないゼミ内でこれ以上浮く訳にはいかないので、村上龍の「限りなく透明に近いブルー」という小説について、ぼつぼつと6,000字ほど書いてみた。書いてみたものの、読み返すと殆ど先行研究のパクりやった。まじでやばい。本当にこれはマズい。法律ギリギリレベルのパクリである。限りなく黒に近いグレーである。ブルーなのはこれを明後日発表する俺の気分だけである。限りなく鬱病に近いブルーになってしまった俺は、なんか可愛い子猫ちゃんの動画を見ることにする。果たしてこの調子で明後日までに卒論は書けるのか〜!?次回、ジン死す!デュエルスタンバイ!