下下下の鬼太郎

俺の同期達はコロナ禍によりスムーズにとまでは行かないまでも、各々が社会人1年目として真新しい革靴で会社の敷居を跨ぎ始めたようである。ビデオ通話の画面越しに見る旧友のスーツ姿には若干の見慣れなさがあるものの、その違和が無くなる日は遠くない、と、期待に輝く彼らの瞳が俺に確信させる。ほんの数ヶ月前までの話題は下らない日常や下劣な馬鹿話や下ネタなどで持ち切りの下下下の鬼太郎だった俺たちだが、社会の大目玉親父に合わされた彼らはすっかりその妖怪っぷりを潜め、今や専らそれぞれの会社のシステムや人間関係について語り合っており、俺だけが下下下の鬼太郎のまま、「朝は寝床でグーグーグー、お化けにゃ学校も試験もなんにもない…」と、とても他人事とは思えない歌を回想して閉口するばかりである。

俺とて生来こんな有様だった訳ではない。遡る事22年前、一姫二太郎ならぬ一姫鬼太郎として6歳上の姉を持つ弟の俺が爆誕したのだが、新生児ながらトレンドを取り入れたベビー服を完璧に着こなすその立居振る舞いに病院の看護婦達は鼻息荒く世話をし、取り上げた産婆はへその緒を蝶ネクタイの様に結び、ブランデーの入ったグラスを回しながら産まれた俺に見惚れてしまい、将来結婚させて貰えるよう手土産を片手に母親の病室まで頼みに来た。当の母親も我が息子が放つ並々ならぬオーラへの期待と母乳で胸を膨らまし、聡明さ迸る俺の寝顔の隣で幸福な夢を見ながら眠りに就いていたことであろう。しかしこの世は諸行無常、有為転変、兵どもが夢の跡である。誕生日ケーキに刺す蝋燭が5本を超えた辺りで我が人生はピークに達し、(まだまだこれから…)という両親の淡い希望を他所に富士急ハイランドのジェットコースター並の急降下を遂げ、絶叫どころか絶句するしかなくなった2人はいつしか誕生日ケーキを買うのを辞めた。それから10数年に渡り1度たりとも空を見上げる事なく下降し続ける人生という名のジェットコースターは、輝かしい筈だった高校生活や、所得する筈だった単位、貰えた筈の就職先などをレール外へばら撒く度にその速度を増し、遥か後方にて哀しげに灯る5本の蝋燭がやけに眩しい。

嫌にリアルな浮遊感に目を覚ました俺を窓から差し込む夕日が照らす。高校の頃、同窓生達がグラウンドに、体育館に、部室に垂らしていた爽やかな汗は優しい西日に照らされキラキラと輝く金色の宝石として彼らの青春を彩っていた。劣等感からその輝きを恐れ、嫉妬と負け惜しみから作られた醜い冷笑を浮かべたまま、なるべく日陰を通って帰っていた俺の中には、流すべき時に流せなかった汗が毒のように溜まり、数年間の後悔や鬱憤で醸造されたドロドロとした寝汗となってシーツを彩る。彼らが仲間達とかけがえの無い思い出を作っていたこの夕刻、俺が成し遂げた事は何もない。そして学ぶ事なく今も眠り続けている。何も変わっていない。人々を平等に照らす優しい西日は、残酷にも人々を平等に照らすのだ。高校生の爽やかな汗も、誰かの後悔の涙も平等に。

寝ぼけ眼でボーッと部屋の隅を見つめる。地方のホテルや旅館で目覚めて、ローカルな朝の番組を垂れ流しながらあまり良くない空模様の外を見つめつつコンビニおにぎりの包装を開けてる時みたいな虚無感がずっとある。

絶頂期にすっぱりと身を引いた鬼滅の刃の刀身は、下下下の鬼太郎の喉元には至らなかった。まだ滅ぼすべき鬼はいるだろう。自分は普通の人間とは違うと未だに言い聞かせている哀れな鬼が。下らない感傷が死なない程度に精神を痛ぶってくるので連日連夜アニメを観ている。特に異世界転生のアニメを。人生半ば終わっている引きこもりがある日不慮の事故で死ぬ。しかし死んだはずが目を覚ますと何故か異世界に転生しており、何故かとてつもない力を持っており、何故か美少女に囲まれており、何故かモテまくるというのが大体の異世界転生アニメに共通するプロットである。ここまで作者の願望が顕在化しているジャンルも珍しい。現実からの逃避/何の努力もせず得られる才能/歓声、名声、寵愛…、俺たちオタクが望む全てが詰め込まれている。描かれた可憐な美少女はそのベールの下でひしめき合う、悍ましくドロドロしたオタクの妄想によって動いているのだが、俺たちキモオタはそのベールを剥がすような野暮な真似はしない。決して触れず、ただ見つめ、信じるのである。同志達が望んだ世界を。オタク達が愛した彼女を。

信じている間だけは俺は紛れもない理想郷に辿り着ける。虚無感も感傷もこの6畳間に置き去りに出来る。まさに鬼に金棒、鬼太郎にちゃんちゃんこ、キモオタクに深夜アニメである。怖いものなど何も無い。もう1本観よう。思い出の代わりに深夜アニメをのせ、ジェットコースターは更にその速度を増す。